朝、玄関前の植え込みがきれいに「散髪」されているのに気付きました。みんなかわいいくりくり坊主になっていて、登校してくる子どもたちもアイスの大福みたいと喜んでいました。

木のとこやさん=用務員さん

ビニール袋を持って登校して来た子が、「校長先生この袋なんだか分かる?」と聞いてきました。「ヒントは大人の人が朝よくやっていることだよ」と言います。うーん何だろう?降参!答えは「ビンのゴミ出し」のお手伝いをした後の袋だそうです。いつもやってくれているパパの代わりに今日は自分がゴミ出しのお手伝いをしたのだそうです。朝の通勤時にゴミ出しをする子どもを見かけることがありますが、どこか健気で涙を誘うものがあります。誰か共感してくれますか。

4年生の算数の授業では、3けた➗1けたの筆算に突入しました。

ある子をよく観察していたら、先生が書いた黒板の筆算をノートに写した後、ずっと見つめていました。しばらくすると、一度かいた数字を消して、百の位から「たてる」「かける」「ひく」「おろす」の順番でゆっくりと解き直していました。一見、全体のペースとは違うことをしているように見える子でも、実はその子の学び方とペースで理解を深めていることが多いです。

また別の子どもは、先生の出した問題をすぐに解き終えて、退屈そうに近くの物をいじり始めました。そばに行って「待っているのが苦手なんだね」「待っている間、何かできることを一緒に考えようか」と言ってしばらく見守っていたら、自分で考えた4けた➗1けたの発展問題をノートに解き始めていました。

タブレット端末が全国の学校に導入されて5年が経ちました。加速するデジタル社会を生き抜くためにはICT活用は不可欠です。ただ、このノートをよく見てください。消した痕がありますよね。その痕こそが、その子の学びの軌跡であり、行きつ戻りつしながらも最後まであきらめなかった苦労の証なのです。デジタルがよいかアナログがよいかの二元論はもはやナンセンスですが、紙のノートはこれからも残るでしょうし、もしAIの技術で子どもたちのノートやテストを採点する時代が来たら、そのような子どもの非認知能力をきちんと判別してくれる機能が備わってるといいなと思います。
